「変わってないよね~、あ、でも、背はちょっと伸びた?」
「まぁ、な。176cmになったよ」
「そっかー、ますます、キスしにくくなっちゃったかな?」
「な、そんな事は……」
「そんな事は、何?」
 そうやっていたずらっぽく話しかけてくる高木唯の姿は、まさに1年前と同じだった。

4 「Old secret」

「というか……なんでここに?」
 よもや俺に会う為に、なんてことはないだろう。今や高木にとって俺は、「昔の彼氏」以外の何者でもないはずだ。
「サッカー部の応援に。手伝って、って頼まれちゃって。直樹くんは?」
「あ、あぁ、俺もだ。友達が出場するんでな。まぁ最初は、そいつの彼女に誘われたんだけど」
「へぇ……なーんか意外」
「そうか?」
「そういうことするタイプじゃなかったじゃん?」
「そういうつもりはなかったんだがなぁ……」
 ジャララ、とコインが戻ってきた。そういえば入れたっきりボタンを押してなかったな。改めてコインを入れて、アイスコーヒーのボタンを押す。
「そういえば、斉藤さん……戻ってきたんだって?」
「む、もう高木の所まで話が行ってるのか。さては倉田の奴……」
「あぁ、倉田くんじゃないよ、別の人が教えてくれたの」
 これはちょっと意外。まぁ校外にふれて回るほどあいつも口が軽いやつじゃなかった、ということか。
「再会した初日に喫茶店で人目もはばからずディープキス、だって? 直樹くん意外ー?」
「いや、そこまではしてないぞ? というかいやキスはしたけどさそんなんじゃなく軽くだから」
「キス、したんだ」
 高木は、少し悲しそうに、そう呟いた。
「あぁ、まぁ、な」
「まぁ……、そうだよね」

 そもそもの話は中学2年の3学期、年が明けてしばらくの頃までさかのぼる。
 その前の年、夏休みにあんなことがあったせいで、2学期が始まっても俺はしばらく、何もやる気がおきず日々ぼーっ、と過ごしていた。とはいえ2年も2学期になると高校受験の準備や対策やで忙しくなるころで、俺も親の計らいで(勉強させよう、というよりは何かにやらせて気を紛らわせよう、という目的だったんだろうと思う)塾で本格的に受験勉強を始め、性に合ったのか現実から逃げたかったのか、俺自身も不思議と上手い事ガリ勉生活をおくるようになった。
 そんなこんなで年が明けて2年の1月。おかげで成績もだいぶ上昇し(もともとそんなに悪くは無かったが)、県立トップ、要するに今通っている相模野高校へ行けるかも、という感じになってきた頃だった。
「櫻井くん、ちょっと教えてほしいことがあるんだけど、いい?」
 昼休み、弁当を食べた後に図書室の一角で勉強をしていた俺に話しかけてきたのが、その頃隣のクラスの高木唯だった。
「えっと、誰だっけ?」
「2組の高木唯だよ。覚えてないの~、もう」
「あぁ、ごめんごめん。で、何の用?」
「んーちょっと数学で教えてほしいところがあって、教えてほしいかなー、って。今までは先輩に教えてもらってたんだけど、ちょっとね~」
 まぁまさに本番を控えた3年生に、時間をとって教えを請う、というのは確かにやりづらいだろうな、と俺は軽く思い、高木の頼みを引き受けることにした。
 ……まぁ実際は、後に高木自身が語るように、これは適当に作ったいいわけだったのだが。
「まぁついでに、ってのは思わなくも無かったけど、他に誘うような理由も見つからなかったしね~」
 とは後の本人談の言葉だ。

「サッカー部の応援を口実に、実は誰かに会いにきました~、なんて所じゃないの? 今回も」
 話をそらせるのが半分、そのころのことを思い出して、ふと言ってみたくなったのが半分で、俺はそう高木に言った。もちろん、怒っていたとか根に持っていた、ということはまったくなかったのだけれど。
「そんなことないよ~、今日はほんとに応援。大体……」
「大体、何だよ?」
「……好きな人のために、じゃないと、そんなことしないよ」
「今更、なんてのは無しだからな?」
「……もちろん、分かってるってば」

 それからというもの、昼休みといわず放課後といわず、高木は少ししつこいくらいに俺に会いに来た。まぁたいてい口実は勉強教えて~、だったのだが、それにしたって数が多すぎるなぁ、と思いはじめた2月14日。
「……これは?」
「チョコレート、だけど?」
 いつものように昼休み、図書室で勉強していた俺のところにやってきた高木は、小さな箱を差し出した。
「いや、それは分かってるんだけど」
「本命か? って事だったら、ばっちり本命だから安心して。ね?」
「あ、あー……、そういうことか」
 今考えると信じられないことだが、何で毎日会いにくるんだろう、とは思っていたが、そういう意図があったなんて事は微塵も思いつかなかった。ありえないし受けられない――なんといっても、奈緒美を忘れられなかった――というのが無意識にあったせいだろう。
「ようやく気づいてくれたんだね、一ヶ月ずっと会いにきた理由」
「あぁ、今ようやく分かった。でも」
「斉藤さんのことは知ってるよ。知ってるけどね、それでも、我慢できないの」
 公式には急な都合で、ということになっていたが、夏休み明けの俺の様子をみれば、円満に分かれたのではない、という事は想像するのは容易かっただろう。まして引っ越したのは奈緒美のほうだったから、
「斉藤さんにいきなり振られて、あきらめられないのは分かるけど、さ、だったら私と……」
 なんていう結論にたどり着く人間も割合いたようで、そういった類のうわさも結構聞こえてきていた。
「いや、そうじゃないんだ……」
「そうなの? それじゃ私と付き合っても……いいよね?」
 どこをどう考えればそうなるんだろう、あるいは今考えれば、すべて分かっていた上で強引に話を持っていった、のかもしれない。
「ずっと……、ずっと好きだったんだよ? ずっと……、だから、さ!」
「……まぁ、そこまで言うなら、駄目だとはいわないけど……」
「本当? ほんとに? やったぁ~!」
「いやその、まぁ、いいか」
 図書館という場所にもかかわらず(まぁ人はほとんどいなかったけど)大きなアクションで喜ぶ高木を見ると、なんというか断ってしまうのも申し訳なく思ってしまい、俺はなし崩しにOKを出してしまった。
「それじゃさ、それじゃさ、今度の日曜どこか遊びに行かない?」
「あー、まぁいいけど、場所とか面倒だから決めちゃってくれる?」
「いいよ。それじゃ、どこにいこっかな~」
 そんな感じで、もう女の子と付き合うこともあるまい、と思っていた俺の想像は、案外あっさりと裏切られることになった。

「でもさ、でもさ、私の……、その、初めてを持って行っちゃったんだから、久々に会った時くらい、もう少し優しくしてくれてもよくない?」
「ばっ、ばか、あれは高木がどうしてもって言うから!」
 いきなりその話を持ち出されると思っていなかった俺は、思わず大きな声を上げてしまった。スタンドに向かう数名が振り返ったような気がしたが、とりあえずは気にしないことにしておく。
「そうだよね、私がお願いしたんだもんね、そんなこと、言える立場じゃないよね……」
「あ、いや、そのそういう訳じゃなくてな」
「あ、それじゃ櫻井くんもしたかったんだ!」
「いや、だからそういうわけじゃ、あー、なんていうか」

 付き合い始めて数ヶ月、3年に上がってしばらくたち、いよいよ受験本番というシーズンになったこともあり、俺は高木に別れを告げようとした。
 本当のことを言えば、受験は口実でしかなく、実際のところは、やはり奈緒美以外に俺が付き合える女性はいなかったのだ。2ヶ月の間付き合ってみて、むしろその気持ちは強くなった。
「まぁ、そうだよね」
「ごめんな、忙しいから、って自分勝手に」
「ううん、元々私のほうから言い出したことだし、気にしないで。でもね、できるなら、もう1つだけ、わがまま聞いてほしいな、なんて」
「もう1つ?」
「私の……、初めての人になってほしいな。多分櫻井くんになら、後悔せずに、あげられると思うから」
「……」
 ずいぶんと唐突なお願いではあったが、考えてみれば、いままでそういう、“おさそい”のような事が無かった訳じゃなかった。この時はじめてそういえば、と思ったが、確かに高木の家に誘われて「今日誰もいないんだけど」などといわれた事も数度はあったはずだ。不思議な話だが、そんな誘いだ、なんてことはまったく気づかなかったのだけれど。

「ほんとはね、私もわかってるんだ、櫻井くんが今でも、斉藤さんの事が好きだ、って事。私はずっと櫻井くんを見てたけど、櫻井くんはずっと、私じゃない誰かの事を思ってる、って気がしたもん。それはやっぱり、斉藤さんだよね?」
 事が終わった後、高木の部屋のベッドで2人並んで寝ているとき、ふと高木はこんな事を言い出した。
「それは……、もちろん、まったく未練がないといえば、それは確かに嘘だけど」
 嘘ではない、なんて生ぬるいレベルじゃない。こうやって裸で二人で一緒に寝ていても、いやそうだからこそ、俺はいっそう奈緒美の事を思っていた。
「いいよ、櫻井くんの気持ち、わかってるから。だけど……、我慢できなかったのは、私のほうなんだし」
 そうやってうっすらと涙を浮かべて微笑む高木を見ると、俺は悲しいというか申し訳ないというか、なんというかよく表せない気持ちがこみ上げてきて、思わず高木をぎゅっ、と抱きしめていた。

「って、もうすぐ試合始まるな。俺はそろそろ……、スタンドのほうに戻るぞ」
 危うく忘れるところだった2つ目のジュースを取り出し、俺は高木にそう告げた。
「あ、ごめんね引き止めちゃって。応援がんばってね、うちの学校が勝てる程度に、だけど」
「その点は保障できないな。ま、お互いに、ということで」
 あの事があってから、高木は志望校を俺と同じ相模野高校ではなく、私立の築浜高校――そう、今日の対戦相手だ――に変えた。特に別の高校にしよう、などという話をしたわけでもなく、高木が決めた事だったから、まぁ、俺と同じ学校、というのが嫌だった、と当時はそう思うことにした。もちろん、本当にそうか、なんてのは今となってはわからない。
「それじゃま、またどこかで会ったときは」
「うん、またね」
 手を振る代わりに俺の分の紙コップを揺らしながら、俺はスタンドへと戻っていった。もちろん、一度も振り返ることなく。

「……どこ行ってたの?」
「あー、ちょっとね。はい、アイスコーヒー。」
 奈緒美が不思議に思うのも無理はなく、ジュースを買いに行ったのは試合開始15分前だったというのに、今はすでに試合開始1分前を切ったところ、すでに両チームの選手がピッチに立ってキックオフの笛を待っている、という状況なのだ。
「ありがと。あ、私の好み、覚えててくれたんだ」
「もちろん」
 奈緒美が紙コップの自動販売機で頼むのはいつもアイスコーヒー、それもミルクと砂糖を最大まで増量したもの、なのだ。奈緒美いわく「こういうところでおいしい紅茶が飲めると期待するのがそもそも間違ってるから、だったら”らしい”物を飲んだほうがいい」という事だそうだ。
「柿沼くんはフォワードだっけ?」
「そうそう、ちょうどスリートップの向こう側だよ。1年生のフォワードじゃ、県内でもトップクラスなんだから」
 そこまで上手かったとは知らなかった。さすがに1年生にもかかわらず冬の大会ではレギュラーになれそう、というだけの事はある。そんな感じで相原が柿沼の上手さをあれやこれや話そうとしたところで
『ピーッ!』
 笛が鳴って試合開始、である。

 試合はそのままうちのペースで前半から後半へと進み、4対0という圧勝で終わった。そのうち2得点は柿沼のシュートで、素人目からみても今日のMVP、と言ってもいい活躍だった。
「柿沼くんすごかったね~、特に後半の2本目のロングシュート!」
「だよねだよね、今日も大活躍だったもん!」
 と、興奮冷めやらぬという感じの奈緒美と相原。その前を歩く俺もまだテンションが若干上がったままなのだが、なぜかさらにその前を歩いているのが
「しかしまぁ、櫻井にそんな甲斐性があったとはなぁ。俺もまだまだ修行不足だなぁなぁ!」
 担任の山田先生なのだ。
「いや、甲斐性って訳でもないんですけど、ってかなんですか甲斐性って」
「照れなくてもいいぞ、別に俺は生徒が付き合おうとどうこう言う気はないしな、まぁ安心しとけ」
「いや、別に心配してないですけど」
「おーそうかそうか、それはよかった!」
 こんなテンションの山田先生とわざわざ一緒にいるというのは正直面倒くさいのだが、それもこれも「今からロッカールームに行くけど、ついてくるか?」などと先生が言い出したのに見事に奈緒美と相原が釣られたからで、
「しかしまぁ、わざわざ彼女が応援に来るとはなぁ、柿沼もああ見えて隅に置けんなぁ、いやまったく!」
 その過程で俺と奈緒美、柿沼と相原の事もばっちりとばれていたりする。というか、勝ってやたらとテンションが上がっているのはわかるんだが、別にサイドで檄を飛ばしていたとか、控え選手に付き添っていたとかじゃなく、単に俺たちの横で応援していた(これまた俺たちの何倍も盛り上がって)だけなんだが、そんな人間がロッカールームにまで入り込んでいいんだろうか……
「おーいおまえら、今日はよくやったな~! まぁわずかだけど差し入れだ~!」
 などという俺の心配をよそに、山田先生はどこから取り出したのか(今まで持っていた事に気づかなかった!)、ペットボトルやら何やらの入ったビニール袋を掲げながら、ロッカールームの扉を開けていた。
「やりましたよ~! 築浜のやつらに4対0!」
「今日は最高だったっすよ!」
 とまぁ、どうやら俺の心配をよそに、サッカー部の面々の反応はどうやらいい感じのようだった。
「お、櫻井じゃん、応援ありがとな」
 と、後ろに俺がいる事に気づいた同じクラスのやつが声をかけてきた。
「あぁ、国友がんばったじゃん? ナイスディフェンダー、って感じで。 あそうだ、柿沼いる?」
「いるよ。柿沼ー、櫻井がきてるぞー」
 と呼んだ先はシャワーブース。今行くーと声がしてすぐ出てきた柿沼は、シャワーを浴びたばかりらしくまだ上に何も着ていない状態だった。おっとこれは……
「お疲れ、でもって2ゴールおめでとう」
「ありがと、いやー、でももうちょっとでハットトリックだったんだけどな」
「前半終わりのあのシュートが決まってればねー、ま、2ゴールでも十分すごいじゃん?」
「まぁね~」
 などと一通りたわいもない話をしてる間に、奈緒美が相原を呼び寄せて……
「おぉそうだ忘れるところだった、今日はお届けものがあるんですよマエストロ?」
「なにそれー、ぇ、え!?」
「あ、あのその……、今日はおめでとう」
「ほらほら里美、せっかく愛しの彼氏の活躍を目の前で見れたんだから、もっといろいろ言ってあげないと?」
 ヒュー! とまぁお決まりの声が飛ぶのも、まぁ計算済み。
「まぁ俺たちはこれで帰るから、後はお二人でごゆっくり、な。あぁみんな、今日は勘弁してやってくれる?」
『おっけ~』
 赤くなってるけどまんざらじゃなさそうな2人とその他大勢をおいて俺と奈緒美はそのまま退散。後で聞いた話では、その場ではとりあえず二人っきりでいろいろ話せたのだけれど、その後で部長からこってりとお説教を食らったとか。とはいえ、そう話す柿沼の顔が若干にやけていたのは、きっと気のせいじゃないはず。
「まぁしかしいいじゃないの、これで告白されて妙に彼女にヤキモキされることもなくなるんだし?」
「いや、それはそうなんだけど、それはそれでちょっと寂しいかなぁ、って何でお前が知ってんだよ?」
「ま、深い事は気にしないの」
「ったくなあ……そうだ、櫻井も斉藤さんとこーんな感じのシチュエーション、用意してやろうか? たとえばそうだな、全校集会のときとか」
「い、いや、遠慮しときます」
 いまさらキスくらいは恥ずかしくもなくできるけど、さすがに大勢に見られてする度胸はない。まぁ、上半身裸、なんて格好で彼女に会わせた俺が言えたものではないかも知れないが。

 そんな感じで、俺と奈緒美は一足早く、バスで家へと戻っていた。奈緒美の荷物はまだうちに置いてあるから、どちらにせよいったん戻らないといけないのだ。
「奈緒美は、今日は何時ごろまでに帰らないといけないんだっけ?」
「うーん、明日日曜だし、別に早く帰る必要はないんだけどね……、どうしようかな?」
 座席の背もたれに深く腰をかけて、少し上のほうを向きながら何事か考えている奈緒美を見て、俺は
「それじゃまぁ、ちょっとうちで話しでもして時間つぶしていく?」
「ん、それでもいいよ」
 などと、暇つぶしをする感じで誘ってみた。
 本当は、今日のこと――というよりは、高木とのことを――話さないといけない、と思ったからなのだけれど、それはまだ言えない。